神野美伽 ニューシングル「旅立つ朝(あした)」を携えて、「会えること、歌えることの幸せ」に満ちた極上のワンマン・コンサートを開催
■取材・文 / 原田和典 写真 / 山田久美子
敬愛する笠置シヅ子、江利チエミの楽曲も
歌唱力、表現力、パフォーマンス力、選曲力、MC力をすべて兼ね備えたーーーつまり圧倒的なコミュニケーション力を持つエンターテイナーが神野美伽だ。近年はジャニス・シーゲル(マンハッタン・トランスファー)、ローレン・キンハン(ニューヨーク・ヴォイセズ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、クハラカズユキ(元THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)らとの共演でも話題を集めている。その神野美伽の、約2年半ぶりとなる東京でのワンマン・コンサート「さあ、歌いましょう!」が6月7日に中野サンプラザホールで開催された。
第一部は、レギュラー・バンドのメンバーに、東京キューバン・ボーイズ(以下キューバンと略)のホーン・セクション(計13人)を迎えたステージ。トランペット・セクションにはキューバ出身ルイス・バジェの顔も見える。オープニングから「ヘイヘイブギー」、「ホットチャイナ」など、笠置シヅ子(神野は音楽劇『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE~ハイヒールとつけまつげ~』で笠置に扮した)のナンバーを逞しくうたいあげる。もちろん作曲は服部良一だ。いきなり私事だが筆者は笠置歌謡の(言葉通りの意味での)破天荒さ、服部サウンドのモダニズムについて、昨年逝去された瀬川昌久氏から直にうかがって大変に感銘を受けたことがある。瀬川先生と一緒に見たかったなあ、と思いながら、白熱のパフォーマンスに耳を傾けた。
続いては、やはり神野美伽の大フェイヴァリット・アーティストのひとりである江利チエミ関連曲のコーナーだ。“えりちえみ”をどう発音するか、たいていの場合、“やや「り」にアクセントがつき、ほかは平板”になるのではという気がするのだが、神野は“え”にアクセントをおいて、あとはなだれおちるように発音する。江利チエミ本人もそう発音していたし、そもそも“江利”の由来は米軍キャンプでの愛称“Ellie”に因んでいるのだから、やはりここは“え”を強調するのが正調なのだろう。
ところでキューバンは1950年代、江利チエミの伴奏も務めていた。それから60年、70年が過ぎた現在、いまもなおトップ・シンガーとキューバンのコラボレーションが続いていることに筆者は大きな感銘を受けた(トロンボーン奏者の大高實は、江利存命中からキューバンで演奏してきた)。6月8日に発売を控えていたニューシングル「旅立つ朝(あした)」も、もちろん鮮やかに披露。江利チエミが1971年にロサンゼルスに行き、ドラムの達人ハル・ブレインや名アレンジャーのジミー・ハスケル等の伴奏を受けて録音した“ニュー・ゴスペル・ロック”が、さわやかな神野節で息を吹き返した。
ENKA DIVAのパワー炸裂
笠置、江利のほか布施明や和田アキ子の当たり曲でも熱の入った歌唱を繰り広げた第一部とは一転、第二部はENKA DIVAとしての神野美伽の真骨頂というべき世界が広がる。バンドの編成はピアノ、パーカッション、ドラム、ギター、ベース。尺八やストリングスなどの音はシーケンサーを通して鳴っていたようだ。オープニングは荒木とよひさ作詞・岡千秋作曲「日本の男」。スポットライトを浴びた着物の美しい色彩、マイクと口の距離を自在にとりながらの歌いまくりに、目が耳がひきつけられる。
この曲に限らず、神野演歌は本当にパーカッションの役割が細かだ。演歌の花形楽器の一つであろうビブラスラップ(“カー”という音が出る)、ウィンドチャイム、拍子木、カバサ(だと思う。ブラジルの楽器)、銅鑼和太鼓などなどが、ここぞというタイミングで入ってくるのは本当に気持ちいい。ゆったりしたワルツ「千年の恋歌」があるかと思えば、グルーヴの塊と化した「石狩哀歌」や「酔歌(ソーラン節入り)」があり、かつて村田英雄が涙ものの名唱を残した「無法松の一生(度胸千両入り)」も神野ならではの華やぎに満ちた熱唱だった。鳴りやまぬ拍手に応えてアカペラで歌われたアンコール・ナンバーは、アレサ・フランクリンの名唱でも知られる「アメイジング・グレイス」。ザ・シンガー、神野美伽の魅力に酩酊した約2時間半であった。